お天道様が見ている。
お天道様が見ている。って聞いた事ありますか?
私は時代劇で見聞きしたのかなー、頭の片隅にそういう記憶がある位で、自分が言ったり言われたりしたことはないですが。
本来の意味だと恐らくですが太陽神?とか神さま仏様に近いもので山岳信仰とかも篤い日本ならではなのかもしれませんし、誰も見ていなくても必ず見られているよとか、そこから発展して自分だけは誤魔化せないという意味で捉えてる人もいました。
確かに意味的にはそういう事なのだろうと思います。ですが
神さまの恐ろしい処
モノや動物みたいなかみさま
日本人の難事に対する忍耐力の高さは震災王国ならではなのかなと思うところがあります。なんの前触れもなく突然訪れる災害。悪人に対する罰や懲らしめならまだ予兆もあろうものを、人間からしてみれば本当に悪戯者の気まぐれにしか思えないようなタイミングであっさりと簡単に善い人も悪人も等しく呑み込む。
ずっと崇めて進行してきた者たちからしてみれば理不尽まっしぐら。それがお天道様。
それでも人間はどうにか理屈をつけて道理の通る神様だと思いたい。でなければ次にいつ自分に厄災降りかかってくるか判断できなくなってしまうから。いつ気まぐれに命を奪われるかビクビクしていたら心臓に悪いですよね。
人間みたいなかみさま
神さまが人格者として描かれている系の宗教でも似たようなもんです。
大体の神さまは人間の心の中なんて全てお見通しです。
そして人間よりずっと前からずっと先まで見通すことが出来たりします。
だから、人間の物差しで善悪の判断をつけて善い行いだと思ってやった事でも、神さま的には許されない、罰則対象になってしまったりします。
そんな時、心の中まで見通す神さまがどこを見て判断しているかというと、行いではなく心の中だと思うのです。
キリスト教でもほら、終末になると偽物の信仰が跋扈するとか言ってるじゃないですか。偽物っていうのは多分、見た目はちゃんと信仰してるふうなんですきっと。でも中身は自分の利益の事しか考えてない腹黒なんです。でもそういう人は神さまに見透かされていて、善人だという判断をされないんだと思います。
そして大抵の物事には2つ(以上)の側面があって、どちらかの側に立つかで善悪さえも立場を変えるというのはよくある話。だから先ほどの例も含めて、結局神さまが見てるのは外見や行いではなく心の内であったとしたとして。
ふと恐ろしい事が頭をよぎりました。
悪気が無けりゃ何をしてもいい
神さまが見ているのが心の内だけであったのなら、純粋に相手の為を思ってやった事なら全て善になってしまうのではないかという事。
それこそ、「悪気」さえ存在しなければどんな行いも正当化されてしまうのではないかと。
(人の気持ちなども含めた)見えないものを強く意識する人ほど、悪気はなかった、そんなつもりで言ったわけではない。あなたの為を思って。と強く悪意を否定するのかもしれません。目の前の相手に弁解しているのではない。目に見えない、心の底まで見透かす存在に弁明する為に必死になっているのかもしれない。
悪気さえなけりゃ許される。
だからこそ「私が悪かった」のたった一言が出ない人が多いのかもしれません。
それはあながち間違いではないのかもしれませんね。
認めてしまったら、自分が悪になってしまうから。
私は悪くない!!と言い張るのは目に見えないお仕置きが怖いからなのかもしれません( *´艸`)
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でも「不正にまみれた富で友達を作りなさい」とかいう言葉もありますし、偽善でもやらないよりは善に近いとかもあるから、全てまっさら綺麗な気持ちになれないと自覚しながら行動するのがバランスいいのかなと思います。
みなさまが日々健やかに過ごされますよう心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪