ファンが欲しい人は演歌歌手に倣え!
こんにちはらぶです。
カリスマは別にファンを求めてなんかいないぞというお話。
最近続けて何人か、
「(自分や自分の仕事の)ファンを増やして行きたいです。」
という目標を掲げる方とお話する機会がありました。
しかし実際に話してみるとファンを増やしたいという割には自分勝手で自己中で、自分語りが大好きで相手がドン引きしてる事すら気付かず話したいだけ話したかと思うとさっさと別の人との連絡に走る始末。
目の前の一人を大事に出来ない奴にファンがつくはずないわ(;´・ω・)
では何故、これらの人たちはファンを増やしたいと公言しておきながら自らファンを遠ざける様な行動をしてしまっているのか。
それはつまり、深層心理ではファンを増やしたいというより、
ファンを増やすことでカリスマになりたい(崇められたい)
という願望が根付いているからなのかなと思いました。
スタートがそもそも間違っている気がする。
ファンを増やしたいと思っている人はみんなに自分の事を応援して欲しいと思っている人。アイドルや政治家や演歌歌手に多く見られる傾向ですね。
一方のカリスマは職業問わずそのジャンルに於いて異彩を放ち、才能の奇特さにとどまらずみんなが恐れてブレーキを踏むところで躊躇わずアクセル全開にしちゃうような人。
それに憧れるのが悪いと言っているのではなく、そもそも
カリスマはファンを増やしたいなんて思っていない( *´艸`)
というのが考えの中からざっくり抜け落ちている。
この二つは全く違う生き方なのに混同してしまっているから傍目にちぐはぐな印象を受けてしまうのだと思います。
誤解のない様にあらかじめ言っておきますが、カリスマがファンを大切にしていないという話ではありません。
カリスマと呼ばれる人たちはみな一様に少々変わった性格や才能を持っていたりするものです。だからこそそれを理解して支えてくれるファンの皆さんの事を、カリスマはとても大切に思っています。
では、なぜ「ファンを増やしたい人」と「カリスマ」は違うと言えるのか。
それは、カリスマは「自分についてきてくれているファン」を大切にしているのであって、ファンを増やそうと思って行動しているわけではないという事です。
つまり、例えば自分が本当にやりたい事がファンに嫌われるかもしれなくても、それを理由に行動にブレーキをかける事はしない。どこまでもどこまでも自由にやって、それでもついてきてくれるファンがいるのなら、そのファンは家族かそれ以上に大切な存在であると考えています。だからカリスマはファンが増えるのは嬉しいし大切にするけれど、ファンが減る事に対しては仕方のない事だと思い、特に思い入れはないのです。
どちらが良いとか悪いとかいう話ではないので、自分が本当はどちらになりたいのかを見極めて行動すればいいのだと思います。
ファンを増やしたいのなら、カリスマぶった態度でファンに接するのをやめ、CDを手売りする演歌歌手の様に目の前のお客さん一人ひとりに心の底から「ありがとう」の気持ちを込めて接すればいいと思います。
コミケに参戦した小林幸子の丁寧な接客ぶりは来訪者を驚嘆させたと言います。
あの大御所が一人ひとりの顔をまっすぐ見ながら、満面の笑みを浮かべてしっかりと握手し気持ちを込めて「ありがとう、ありがとう」と言っていたというのはもはや伝説級のお話。
そして、そうではなくカリスマになりたいのであれば周囲の顔色を窺ったりせず、間違ってもご機嫌取りの様な事をするのはやめて、岡本太郎画伯や尾崎豊の様に自分という唯一無二の存在を全世界に知らしめる勢いと覚悟を持って自由に奔放に才能を発揮すればいいだけの話なのです。
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記事を書くきっかけとなった人たちは確かに才能に溢れた方ではあるのですが、会話をしているとどんどん「こいつの事は絶対応援しない」という気持ちになるのです(;´・ω・)
ただ、カリスマって実際ふり幅が大きい人でもあるような気がするのですよ。
誰かに「物凄く嫌だ」と思われる部分を表現している人は、逆に別の誰かに強烈に好かれたりするものかもしれませんので敢えて指摘するような事はせず、ひっそりと草葉の陰から見守ろうと思います(*´∇`)ノシ マタネ~♪