love2016の雑記

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気づいた事や感じた事、得た知識などをシェアしていきたいです

「誰にだって価値がある」の恐ろしさ。

人の価値とは何か。

 

「価値のない人間なんかいない。」

「誰にだって平等に価値がある。」

 

という言葉をよく聞きます。

それは本当でしょうか。

 

結論から言うと、本当です(笑)

 

だって、人間だって、元をただせば全て地球の海の中から産まれてきたのですし、蟻と牛と鳥に価値があるのだとしたら、人間にだって価値があるのは当然です。

 

ただ、それは金や銀や炭素などと同様に、物質としての価値、そして死後土に還った後、他の命の素となる為の価値であって、多くの人が悩み口にする「私なんてなんの価値もない。」という時の「価値」とは意味合いが異なるような気がしてならないのです。

 

「自分の価値」とは

 

人が自分の価値について悩んでいる時、欠乏感に苛まれている時の価値とは、「人間としての価値」とか「命の有難み」などの大きな話ではなく

 

私はここにいていいのか

私が生きている事は許されているのか

私が生きてきた時間は正しかったのか

私が私として生きていていいのか

私の人格は認められるのか

私が私のままでいて、必要とされる事はあるのか

私の短所や汚い部分、足りない部分は許されるのか

 

そして、そんな自分個人を愛し、必要とされる環境は存在するのか

 

といったような、「いち個人」の人格に対する価値の有無を問いているのではないかと思うのです。

まずここの違いを押さえておかないと話がいつまでも平行線になってしまうので重要です。

 

では、その「いち個人としての価値」というものは、誰にでもあるものなのでしょうか。

 

はい。それも存在します。

 

誰にだって平等に価値があるのです。

ただしそれは、平等と言う言葉のイメージとは程遠い、恐ろしい意味での価値です。

 

無価値な人の価値

誰からも必要とされず、疎まれ、存在を否定され、見下され、蔑まれ、心を蹂躙され、貶められ、嘲笑され、罵られ、挙句の果てに殺意を抱かれるような人間の価値はどこにあるのでしょう。

 

それは、

まさに今

列挙した

その為に存在するのです。

 

人間は恐らく、横一線を好む生き物であったならここまで進化して来なかったはずです。

人間は過去や他人より少しでも多く得、楽をし、上位に立ちたいという想いがあるからこそ、今の社会性や利便性を手に入れられたのだと思います。

そして、それを求めて遺伝子が受け継がれてきたのですから、後世の私たちは昔より更に多くを求め、より完璧である必要を求められていますし、自分たちもまた自分たちを取り巻く環境に完璧を求める様になってきています。

 

しかし、自分ひとりでは進んできた道が正しかったのか判断が出来ません。

有史以降を見れば人間の進化は明らかなのに、自分の進化は(時間が短すぎて)見えないからです。

 

そこで、同じ時代に、近い環境で生きる人と比較して、

「あの人よりはましだ」

と思うための存在を必要とするのです。

 

つまり、

知性を教授するには無知な人間が必要で、

「あの人はバカだ」と罵る為には自分よりバカな人が必要で、

カワイソウな人を助けるには可哀想な人が存在しなくてはならなくて、

ほどこしをしてあげるには、自分より貧しい人がいなくてはなりません。

 

だから、

お金がなくても、容姿が醜くても、体力がなくても、仕事がなくても、

病気がちでも、頭が悪くても、生まれが悪くても、性格が歪んでいても、

はたまた他人に酷く恨まれていたって、

 

価値はあるのです。

必要とされているのです。

生命としてだけでなく、いち個人としても。

 

ただ、直接的に見下し、教え諭そうとする事で優位に立とうとする人ももちろんいますが、現代の多くの人はそのような野蛮な手法より、知性やスキルなどでアピールし、「他人に選択してもらう」ことで自分の優位性を確保しようとします。

 

格闘技をするには、勝者のための敗者がいなくてはならないのです。

しかし現代ではその勝敗を決めるのに多くの場合第三者(レフェリー)を必要としている、という事です。

 

寧ろ、一番無価値な人間は、今現在を生きているにも関わらずその存在を誰も認識していない人なのかもしれない。社会性を持たずに生きている人はそもそも他人から価値を感じられる事もないし、自分で自分を必要としてあげるしかないですからね。

 

再び、人の価値とは何か。

「私には価値がない」と、もし思っているのなら、それは恐らく

「他者から必要とされていないと感じている」か、

「他者からの要求に応えられていないと感じている」かのどちらかなのではないでしょうか。人間は社会性のある生き物なので、知性の高い人ほどそういう考えになってしまうのかもしれませんし。

 

どちらの場合でも、自分のスキルを磨く事で価値を感じる事が出来る様になります。

必要とされるようになり、そして更に要求以上の応えが出来た時、自分の価値を自分で実感できるようになるし、自己肯定感を高める事にもつながります。

 

「頑張ること」が=「心地よいこと」だと意識する事が出来れば、

人生の成功のスパイラルに入る事が出来る様になるでしょう。

 

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みなさまがみなさまにとって価値のある人生を送られる事を心よりお祈り申し上げます。(*´∇`)ノシ マタネ~♪