こんにちはらぶです。
最近、もとプロ野球選手の清原氏の薬物所持使用による逮捕が連日報道されています。
それについて、薬物とはまた別の視点から考えさせられるなと思ったことがありました。
彼が薬物に走った理由は何でしょう。
もう昔の様に脚光が浴びられなくなったから?
昔の肉体を失ってしまったから?
離婚して子供に会える時間が減ったから?
寂しい、虚しい日々・・・?
ブログなどでもやや不安定な心境を吐露する部分も見受けられますが、一様に、本人の思い込みの部分が強いという印象を受けました。
人間誰しも老います。そしてプロのスポーツ選手は人間としての肉体年齢より早く戦力外的な扱いになるのは大体どのスポーツでも同じだと思います。そしてそれはスポーツの能力がどうとかに係わらずプロ競技として当然の事であり、誰かが悪いわけでも、自分が不甲斐ないからでもありません。
そしてそれにより脚光を浴びなくなったりする事もあるでしょう。過去の名声に縋って愚かな行為に走る人もいるでしょう。
けれども、清原氏についてはそうとも言えないと思うのです。
確かに球界としては、彼はあまり受け入れられない風潮にあるのかもしれず、あれだけの人気選手でありしかも本人の意欲もあるのに、(コーチや監督などの)何かしらのポジションのオファーは無いようでしたね。
とはいえ、彼自身に対してのファンからの人気は、まだまだ衰えてはいなかった筈です。勿論辛辣な意見もあったと思いますが、選手時代の成績や本人のカリスマ性のようなものは、ファンの間ではきちんと評価されていたのではないでしょうか。
そして、離婚はしてもお子さんたちとはいっしょに野球が出来て、離婚した後もお子さん達になつかれるお父さんというのは、幸せなのではないでしょうか。
テレビにもでて、多少の不調があっても健康な体を持ち、お子さんに好かれ、(離婚を前向きに捉えると)男としての自由を取り戻し、講演などをすれば必ず人が集まり、人に現役時代の凄さを評価される。こうしてみると、彼は身の丈にあった慎ましさを以ってすれば、何の問題もなく充実した生活を送れるのではないでしょうか。
しかし彼は満たされなかった。
人生辛い事は誰にも訪れるとしても、彼はあまりにも
- 過去の栄光に縋りすぎ
- 現在と過去を比較してしまい
- とり戻せるはずもないものを求め
- あるべき自分を高く設定しすぎ
- 現在の自分の存在価値を見失い
結果、満たされない虚しい日々を送る事になったのではないかという印象でした。
ここで思う事は。
人間、どれだけ成功を収めても、自分が満足しなければいつまでも満たされないままなのである、という事です。
故スティーブ・ジョブズ氏の病床からの最後のメッセージを目にした方も多いのではないでしょうか。どれ程の事を成し遂げても、自分の病気を肩代わりしてくれる人はいない。
どれだけやっても、人生には必ず終わりが来る。
今成功を収めていなくて、自分の虚しさや苦しみが、成功していないからだと思っているとしたら危険です。
「起業したいのにサラリーマンやってるから虚しいんだ」
「結婚したいのに出来ないから辛いんだ」
「努力しているのに会社の業績が予想に届かないから不安なのだ」
「東大に行ってればこんな人生にはならなかった」
「芥川賞がとれてさえいれば俺だって…」
○○があったら、または〇〇がなかったら、自分の人生は違っていたのに…という考え方。
栄光を求めてがむしゃらにやるのも人生ですが、自分を満たしてやる事を忘れてしまっては、何時まで経ってもゴールは遠のくばかりで気力も体力も続かなくなってしまうのは当然です。
理想を持つのは大切ですし、諦めない事も大切です。努力し続ける事も大切ですし、何歳になっても常に自らを高めようとする気概も大切です。
けれどもそれと同じかそれ以上に
自分を労わってやる事も大切なのです。
周囲が何を言おうと自分の味方でいてくれて、本当に自分の本心や苦悩や頑張りを真に見てくれている人なんて、最終的には自分しかいないのですから。
その自分が疲れ切って、もう立ち上がれない程苦しんでいたら、鞭でもなくましてや一時しのぎの飴でもなく、長いスパンのお休みとゆっくりしたお布団と暖かな日差しを用意してあげて下さい。
全ての人は完璧でなくったってかけがえのない存在なのですから・・・。