「おもてなし」と「チップの習慣」
こんにちはらぶです。
今回は快適中毒のお話。
日本には一般的にチップの習慣というものはないですよね。
だからお店では店員に商品以外のサービス、いわゆる「快い応対」をしてもらうのは「無料」なんです。それがおもてなしの心につながるのかもしれませんね。
逆にチップが当然の国では、店員側がサービスを提供しようとしてもチップを払いたくない場合、客の方から拒否をしてくる場合さえありますよね。
ホテルマンが客の荷物を持とうとして、客が「自分で持てる!!」とキレる場面。
あれは勝手に有料のサービスを提供されそうになるのを拒否しているのですね。
海外ではあるあるですが、客側からしたらホテル代にサービス料は含まれていないというきちんとした認識があるのです。
スーパーなどでもそう。
商品の代金というのは商品の代金でしかなく、それ以外のサービスには必ず別料金(チップ)が発生するだろうという認識があるので、店員がぶっきらぼうでもあまり気にしない。逆に荷物持ちましょうか?なんて聞かれたら、チップ欲しさか物取りかと警戒され断るのがオチです。
しかしところ変わってチップのない国日本。
商品を買わなくても店員が最大限のおもてなしの心でもって接待してくれるのが大前提であり当然。
100円ショップであっても百貨店のような気づかいを求め、
店員が商品を駐車場まで運ぶのも当然だと考える。
おもてなしという曖昧表現
客側の考えるサービスと店側が提供できるサービスの質の違い
客側はここまでやってくれるのが当然だろうと考えるが、店側が無償で提供できるサービスにはそれぞれの店で限界がある。
フランスには「タタミゼ」という言葉があるそうです。
日本のおもてなしに慣れてしまって、タクシーが来た時に自動でドアが開くもしくはドアを開けに来てくれると思って待ってしまう、というような事で、つまり期待する「無償サービス」の質が上がってしまったということです。
おもてなし、という言葉は究極的に曖昧な言い回しだといえるのではないでしょうか。
おもてなしというものは基本的に心遣いであり、その人が如何に快適に過ごせるか、いかに心地よい時間を過ごしてもらえるかを第一に考え、心を込めて接する。
そうすると自動的に目に見える形でのサービスが行動にも表れてくるものなのですが、その基準たるや千差万別十人十色。
こうしてくれるはずだ、という思いこみは期待通りに事が運ばなかった時に落胆し、強いがっかり感が生まれます。
現代人の快適中毒は加減というものを知りません。
快適であればあるほど些細な不快にも耐えられず、更に快適を求めて苦難する。
おもてなしというのは求めるものではなく、相手から自発的にやってもらった時にだけ、嬉しいありがたいと感じる程度がちょうどいいのではないでしょうか。