他人に馬鹿にされたと感じた時には冷静に自分の心を見つめる良いタイミング
馬鹿にされたと感じたら、それは大概正しい。
相手は大抵「そんなつもりで言っていない」と言うだろう。
そんなつもりもどんなつもりも関係ない。自分が馬鹿にされたと感じたという事はバカにされたという事だ。それ以上でも以下でもない。
だが問題なのは馬鹿にされたことそのものでは無く、
何故そう感じたのか
馬鹿にされたとして、では自分はどうしたいのか
相手に対してどうしたいのか。仕返ししたいのか理解してほしいのか距離を取りたいのか憎みたいのか誤解を解きたいのか
人間の価値観なんて人それぞれ千差万別、相手がどういう考え方の持ち主であなたの行動にどういう価値を見出しているかはその人の勝手であって、それはあなたがゴキブリに対してどういう気持ちで接しているかと同じ事であり、ゴキブリからみたらどうでもいい事だしどうしようもない事でもある。
例えばゴキブリがどうやったら人間に好かれるか、などを考えるのは時間の無駄である。それよりも人間に殺されないよう距離を取り極力関わらないように努めた方がよっぽど生きるために効率がいい。だから彼らはそうやって生活しているのだ。彼らに無駄な事をする時間などないのだから。そしてそれは人間だって同じ事だ。他人の考えに振り回されてそれをどうしようかなどと考えているよりもずっと大切な事があなたの人生にはあるはずだ。
問題は自分の気もち、考え方の方だ。
馬鹿にされた、と感じたという事はその話題でなにか痛い所を突かれたと考えた方が良いだろう。
そしてそれは、現実のものか、変更可能なものか否か、対処すべき問題か無視すべき問題かという判断をする必要がある。
変更した方が良い点であれば変更する。
無視しても問題ないのであれば「それは私の人生には必要ではない」と割り切ってしまえば良い。
マウンティングなどで、自分の立場を脅かされたと感じた時など、自分の身をどうやって守るかが問題になってくるのだが、気を付けなければならないのは相手に流されて自分も相手を上下関係で見てしまわない事だ。
見下されたと感じている時点で上下関係が発生してしまっているから発想の転換はなかなか難しいとは思うのだが、そこを解決しない限り何度となくこの問題にぶちあたる事になるだろう。
ポイントは
見返す、下では無いと(誤解だと)説得する、奮起して相手より上になる、といった行動に走らない事。
これは自分が上になる事を目指す、つまり上下で人間関係を見ている事から逃れられていない事になるからだ。
大人と子供であっても、教師と生徒であっても、客と営業であっても、上下関係ではなく並行関係で人間関係を扱う事が出来る様になれば、他人に見下されたり馬鹿にされたりという意識から逃れられるし、その上自分が指導教育する立場に立った時などにも上から目線になって驕ったりせず謙虚に物事を運べるようになるという利点も生まれてくる。
負けた、負けてたまるか、見返したい、勝ってやるという感覚をなくすと、自然に「負け」というものが消滅してゆく。その過程で実は「勝つ」というものもなくなってしまうのだが、それをきちんと受け入れる事も重要になっていく。
戦いから自ら身を引く事、それが見下しやマウンティングから離脱するうまいやり方になると思う。