こんにちはらぶです。
「家でも職場でも学校でも、自分は必要とされていないんじゃないか」
と感じる事がありますか。そして更に言うなら
「誰にも必要とされないのなら生きている意味すら見失いかねない。誰かに必要とされたい!」と思いますか。
その悩みならすぐにでも解決できます。
あなたを必要としている人はこの世界にはごまんといるからです!
さあ今すぐに災害ボランティアにでも登録して必要としてくれる人の所に行きましょう!!!生きているって実感持てますよ!
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本当にそうでしょうか。
本当に、そうでしょうか??
いえ、解消させる方法は間違ってないと思うんだよね。
人が必要とされる現場って必ず存在するし、それは知識だとか腕力に限らずとにかく人手が欲しいという場所だってあるし、それがちゃんと人の為になる場所だってしっかり存在している。酷い話、本当に最底辺の人間というものがもしも存在するというのなら、それさえも誰かの優越感の引き立て役になれていると思えば無駄な存在なんかじゃないとも言える。
だからこの世界に、ちゃんと生きていて誰にも必要とされない人間なんて存在しない筈だし、今そう思ってしまっていても、行動すれば瞬時に世界はあなたを必要とする。
でも、
私が疑問を投げかけているのはそこじゃなくて。
誰にも必要とされていない?
誰かに必要とされたい?
本当に、本当に?
その誰かは誰かなんて抽象的な人物ではなく
ある特定の人の事を指していませんか?
という事なのです。
だって「私は誰にも必要とされていない」と愚痴った時、例えば目の前の友人や家族や画面の向こうの自己啓発の記事に「そんな事ないよ!私はあなたを必要としてるし、他の友達だってそう思ってるよ!」と言われて「そっか!そうだよねありがとう!!」って…なりますか?
「それは判ってるんだけど、なんていうかそうじゃなくて…」ってなりません?
全ての人がそうだとは言わないけど、この悩みが発生する時は大抵、自分の中で誰か、ある特定の人に存在を認めて欲しいと思っている場合が多い気がするので、しっかりと自分の心の声に耳を傾けてほしい。
それが本当に誰でもいいのであれば、それは停滞から脱出したいという気持ちの表れだからすぐにでも行動した方がいい。その考え方がクセになると虚脱感から抜け出すのが困難になる。
けれども、ある特定の誰かに存在を認められて必要とされたいと願っているのなら、
それは依存です。
子供の頃の自分が両親に必要とされたかっただとか、夫や妻や恋人や家族や上司に必要とされていたいだとか、そういう特定の誰かを思い浮かべるのなら、それは他人の心を欲している状態でありそれは自分でコントロールできる範囲ではないので悩んでも無駄だ。
渇望の正体を見誤らないよう、ご自身の心の声をしっかりと受け止めて、労わってあげて下さいね(*´∇`)ノシ マタネ~♪