完璧主義者は了見が狭いのかもしれない。
追記
そういえばさ。前回の記事を読み返していてふと思った事があって。
こんにちはらぶです。
今回はどうして完璧主義が疲れるのかについて。
そもそも何を以って完璧とみるか
人生に於いて完璧ってそもそも何なんですかねって話です。
「そんな大げさな事じゃない。今目の前の仕事を完璧にしたいだけだ」とか「家事と育児の両立が完璧に出来ればいい」とか思われるかもしれませんが、それだって答えは一つじゃない。
今の仕事を完璧に?クライアントの要望を満たすのが完璧?それともクライアントを説得して会社の利益を上げる事が完璧?それとも納期通りに仕事をするのが完璧?それとも、更にもっと売り上げを伸ばす事が完璧?完璧って何?いつ、どこまでやれば完璧なの?
家庭も子育ても、埃一つない部屋にするのが完璧?でもきれいすぎて美しすぎて居心地悪い部屋でも完璧と呼べる?子育てに完璧はそもそも存在するの?子供に喜ばれたら完璧?それとも子供に恨まれてでも東大に合格させるのが完璧な子育て?何が完璧なの?
完璧とは個人のものの見方にすぎない
結局のところ完成とは自分が一番納得できる形にしか過ぎなくて、しかも答えは一つじゃない。そして完璧主義者の恐ろしい所はその完成形が自分の能力を超えていると云う事。だから(納得のいく)結果が出せず余裕がなくなってくるのかもしれません。
理想が高いのはいい事です。けれども、それに押しつぶされて仕事が苦しくて仕方なくなってしまっては能率も効率も悪くなって逆効果です。
理想を高く持つのはモチベーションを高めるためだけに用いた方が幸せなのではないかなとらぶさんは思うのです。
広い視野を持つ
結局のところタイトルの通り、完璧主義者は自分が正しいと思った事しか見えておらず、これをやる事が正しくて絶対なのだからこれでなければならないと考えているのかもしれません。もっと色んな成功のカタチがあって、もし理想通りの成功が出来なくってもそれを受け入れられる自分を「器の大きい完璧な人」と見る事だって出来るのだから、完璧に出来ないのではないかとか完璧から遠ざかるといった不安はもともと存在しないと気づければ、心に余裕が出てくるのではないかなと思います。
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より多くの事を完璧に成し遂げたかったら、人を頼る(他力を借りる)しかないんですよね。世の中一人で出来る事って限られてますから。
自分だけで何もかもを完璧にこなす事はできないと気づくのも大切な事なのかなと。
みなさまが心に余裕をもって朗らかな毎日を送られる事を心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪