こんにちはらぶです。
辛くて苦しくて努力が無駄に思えて、どう動いても悪い方にしか進まなくて、毎日泥濘の中を歩くような重さで、体力も精神力もどんどん削られて、それでも耐えて耐えて耐えて、どうしようもなくしんどくなってふと弱音を吐いた時
「世界にはあなたよりもっとずっと大変な思いをして生きている人がいるのに。」
「あなたはまだ幸せよ。もっと不幸な人なんてごまんといるんだから、そんな事で落ち込んでたらやってけないわよ。」
「自分の事ばかり考えてないでもっと広い視野を持って。」
という言葉をよく投げかけられます。
慰めや励ましのつもりなのかもしれませんが、私にはとても上から目線の何もわかっていない人のどうでもいい発言にしか思えないのです。
「もっと」ってナニ?
世界に私より不幸な人がいるってどういう事なんでしょう。
私は幸福度合いや不幸具合を他人と比較するのが苦手です。
- 「日本に産まれた時点で幸せ」←他国バカにしてんのか。物が豊かだってだけで偉そうに・・・。
- 「健康に生まれたんだから幸せ」←生まれた時から不治の病抱えてますが何か。←「でも死ぬほどの病じゃないでしょ。もっと苦しい思いしてる人もいるよ」←病抱えて生きるくらいなら死んだ方がましだって思うくらいつらいのは無視ですかそうですか。
- 「発展途上国の子供よりは幸せでしょ」発展途上国の子供は全員不幸という括り方自体が差別的だと思えてならないのですが…。
- 「五体満足なのだから」←人に寄り頼む事が保証されている人の方が幸せじゃない?
幸福観は人それぞれ
戦場で足を失った兵士でも、足だけで済んでラッキーだと思う人もいれば足がなくなってしまうなんて、なんて不幸なんだと思う人もいる。生まれてすぐ死ぬ子供を不幸だと嘆く人もいれば、人間社会の苦しみを味わわなくて済んだだけましだ。この子は天国で楽しく暮らす純潔の命だったのだと考える人もいる。結婚して子供を授かるのが幸せだと思う人もいれば、結婚したせいで子供の世話に追われ家族の為に働き自分の時間もなく、自分は一体何の為に生きているのだろうと悩む人もいる。
それ自体は全て正解も不正解もなく、誰に非難されるべきものでもない。
つまり、苦しんでいる人に対して「世界にはもっと」という趣旨の発言をする人は、相手の個人的感覚的嗜好を完全否定して自分を押し付けているに他ならない。
確かにブレイクスルーは必要だ。
人は何時までも不幸な場所に留まり続ける事は出来ない。
どこでもいい。生きている限り、どこかに前進しなければならない。
その為に、今までの場所から別の考え方、生き方をする為には信頼できる人の支えや言葉が必要になる事もある。つまりそういう事。
つまり、「世界にはあなたより」という発言をする人は、信頼関係が築かれてもいないような浅い関係の人にまでこの言葉を使うから嫌悪感を持たれるのだ。本当に相手を助けたいと思っての発言なら、まず信頼関係を築く事から辛抱強く始めなければならないし、そうではないのなら単なる自分の価値観を押し付ける事で自己法悦の場を得ようと近寄って来たハイエナでしかない。そりゃ嫌がられるだろ気づけ。
自分が伝えたい事は何か
人の苦しみを助けたいと願って行動するなら、その意思表示は必要です。
助けたいのではなく単純に自分の正しさを証明したがためだけに相手に言葉を返すのであれば、否定や衝突があっても仕方のない事。受け入れられない前提で話すしかないのですが、こういう事を言う人たちって、自分の価値観が絶対正義だと思ってやまないのでなかなか扱いが難しい所があります。
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目の前の相手を助けたいのなら、目の前の相手に全力で集中しましょう。
相手に徹底的に寄り添って話しを聞いて心を傾けて、十分に信頼関係を築いてから、新しい世界への提案をしましょう。本当に相手に助かって欲しいと思うのなら。
みなさんがみなさんの大切な人たちの力になれるように心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪