些細な事について思う事
こんにちはらぶです。
虫を見るとやたら偉そうになる自分にイライラするのです。
小さくも逞しい命
虫はみんな、さして感情的にもならず(?)黙々と仕事をこなしている様に見えます。
それはあたかも美しい機械のよう。
私は、そういう押しつけがましくなく一生懸命な命がとても好きです。
で、たまに虫が困難に直面している場面を見る事があります。
思いがけず電車に乗ってしまったり、人通りの多い道路に出てしまったり、植え込みから這い出して鉄板の様に熱くなったコンクリートに落ちてしまったり。
先日も、虫ではないのですが自転車で走っていたら道路にトカゲがいて、思わず轢きそうになって息を飲みました。
そこでいつも、私は迷うのです。
手助けするべきか、成り行きに任せるべきか。
彼らは死ぬために道路に這い出してきたのではないのだとすれば、植え込みに戻してやるのがいいのだろう。けれども持ちあげられて驚いて慌てて、余計命が縮んでしまったら?手助けしようとして失敗して、逆に死んでしまったらどうしよう。(彼らの身体のサイズに比較して、私の手はなんて暴力的に大きいのだろう!)
彼らは助けて欲しいとも、助かりたいとも言わないし思わない(と思う)。
助けられても当然感謝なんてしないし、それどころか災難が降ってきたと感じて焦るだろう。助けられずに地面を這っていた方が、その先にオアシスが待っていると信じているから幸せなのかもしれない。
助けたいと思う気持ちが芽生えるたびに、もう一つの気持ちが浮かんで、そしてまた苦しみが増える。
『お前は神にでもなったつもりか?』
『助けたい?
手伝いたい?
でもそれが相手の人生に大きな影響を与えてしまうのが怖い?』
『何を言っているんだ?
お前如きゴミが『助けたい?』
自分の行動が誰かに影響を与える??
それがどれ程自意識過剰でおこがましい考えだと思っているのだ。』
頭の中でぐるぐると鳴り響く声。
あまりにも正論。
それは確かにその通り、なんだけど。
でも、こいつには更に奥の手がある。
あー、確かにそれは正論だ、私が何をしたところで、相手の人生に影響があるなんておこがましいよね、じゃあ私は好きにやっていいんだ、などと思おうものなら
『それでその虫が死んでしまったらどうするの?』
と、再び問いかけてくる。
当然、私は答えられない。
そして身動きが取れずにその場をやり過ごし、しばらくずっとその虫の事を考えている。そして大抵は、どうして助けなかったのだろうという感情と、思い悩んでも仕方ないという感情が混ざりあって、とても疲労するだけで終わる。
私はどうすれば良かったんだろう、どうしたかったんだろう、どうするのが正解だったんだろう、どうすれば自分で納得できたんだろう。虫が増える夏は、よくこういう場面に出くわして、悩みの種も増えるのです。
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よく考えると、批難するのって簡単ですよね。
自分に対してもそうですが、他人に対しても、意見が違った場合建設的に話し合うより相手を非難否定して論破して黙らせてしまった方が簡単だし自分の正義感も満たされて良い気分になれますよね。
私はそれを自分自身にやって満たされようとしているのかなー。
だとしたらセルフMですか!ていうかどMじゃないですか!ΣΣ(゚д゚lll)
・・・・・・皆様はできるだけご自身の良い所に目を向けて、セルフ褒め伸ばししてあげて下さいね(*´∇`)ノシ マタネ~♪