良い人になろうとすればするほど嫌われるの法則
こんにちはらぶです。
以前の記事でらぶさんの本性は脊髄反射で猛毒を吐くからありのままでは生きられないというお話をしたのですが。
普段怒ってばかりの付き合いづらい人にさえ
「あの人はちょっと短気なだけで、怒らなければとても良い人だから」とかいう理解者がいたり、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではないですが、みんなから「悪い人」認定されている人ほど一回の優しさが高得点になる事って往々にしてありますよね。
普段の行動とギャップが大きい程印象に残りやすいといいますか。
で、らぶさんは逆に
「普段優しいけど、たまーーーにキレた時超こわーい」とか
「極稀にもの凄いネガティブな返ししてくる」とか言われるような
残念な方のギャップが発生してしまっている事に今更ながり気づきましたΣΣ(゚д゚lll)
結局
どう取り繕っても性格の悪さは変わらんのだからどうやった所でそこら辺は無駄な足掻き。
って事ですね'`,、'`,、(´ω`) '`,、'`,、
でもやっぱり、「やりたいように生きている自分」と、「自然体の自分」がイコールであり且つそれが他人に受け入れられやすい性格の人は生きやすいと思うのです。
私の友達で、結構せっかちで短絡的な性格の人がいるのですが、その人はレジで前の人が大荷物で年配で動きが鈍かったりするとさっと自然に手助けをして荷物を運んであげたり自然に出来てしまう人です。
私も、手助けした方が良いのかなと考える事はあるのですが、なかなか行動に結びつかず(思考と行動が一致せず)自分自身にやきもきしてしまうのですが、友人に「凄いね、私はああいう場面で一瞬躊躇してしまうからできないんだよ」と言ったら
「だって邪魔じゃん。手伝った方が早く終わるでしょ」と。
一部照れ隠しとかもあるかもしれませんがつまり自分の利益を求めた結果相手の利益にもなるという素晴らしい体質。
で、これ、何かというと
絶対的な自己愛
に辿り着くわけですよΣ(゚ロ゚;)
自分の不快感を和らげるためにはどうすべきか、自分の利益を確保するためにはどうするのが最善かを考えそれを素直に実行する。自分の為になるのなら行動に一切の躊躇はない。
人生で一番大切なものは何か。それは自分自身であり、自分の人生であり、大切な自分を支える周囲の人である。だから正しい自己愛は持っていなければならないのです。
結局、正しい自己愛を持つ人が結果的に周囲の人間も幸せにするという典型ですね。
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どんなに表面的に取り繕っていても、その人の性格はどうしても滲み出るものです。
要は、自分の性格を受け入れ、それを表現する事を恐れずそしてそれが原因で嫌われたとしてもそれが自分なのだと、自分の人生を最後まで一緒に歩いてくれるのは自分しかいないのだとはっきり認識する事が重要なのかなと思いました。
みなさまがありのままの自分で生きながらも周囲の人たちと良い関係性を築いて行かれる事を心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪