「生きねばならない」のはなぜですか。
超長文です。
生きるとは何か
いい子でいなければならない。
良い人でいなければならない。
他人を不快にさせてはならない。
仕事をしなければならない。
働かなければならない。
健康に気を遣わなければならない。
適切な食事をしなければならない。
自分を大切にしなければならない。
それはなぜか。
それは、
全て
生きるため
ですよね。
自分が生きる為
家族が生きる為
人類が生き延びる為
では
それは
なぜなのか。
なぜ生きなければならないのか
生きている人しかいないこの世界に於いてこの手の質問が嫌悪されるのは致し方ないとも言える。人間は自分の正義を拠り所にして生きているから、「生きている自分」を否定されるような意見はとうてい受け入れ難いものに感じられるからだ。
だからこそ私は、幼い頃から頭から離れないこの質問に、いつも手を焼いていた。
生きようとするたびに私の頭上に重くのしかかり、意味もなく気持ちを暗くさせて喜ぶ、自分の中にいるいじめっこの様な存在だった。
精神論の方が簡単
大人になって答えの半分がようやく見える様になって来た。
なぜ生きねばならないのか。
それは生きているからである。
人間は惰性を好む。
生きているのだから生きねばならない。
生きねばならないのであれば、よりよく生きねばならない。
よりよく生きるのであれば、楽しい方が長続きする。
だから、楽しく生きなければならないのである。
そして、楽しく生き抜くために、働いたり恋愛をしたり趣味を持ったり結婚したりし、自分を楽しく生かす為には周囲を楽しくする必要もあり、そして細胞の寿命をリセットする為に子孫を残すのである。
確かねに。
その通りだよ。
自分の考えながらその通りだと思うよ。
でもさ。
私が知りたいのはもう半分の方なんだ。
命とは何か
生きねばならないのは判った。
では、生きるとはなんだ。
生きているとはなんだ。
細胞が活動しているのが生きている状態であるなら、地球は生きているのか。
地球が生きているなら道端の石ころも生きているのか。そうではないなら、どこまでが地球でどこからが地球ではないのか。
私が生きている状態とはなんだ。
私の髪の毛や爪は、私の身体にくっついているがもう死んでいる。
落ちた髪は私ではないのか。
では、切り取られた腕は私ではないのか。
足は、腹は、胸は、そして頭は、切り取られたら私ではなくなるのか。
自分を生き永らえさせるとは、どういう事を指すのか。
意識が自分の全てなのか。
では、自分の意識とは何か。
肉体は私であるか?
意識は私の肉体から発せられる電気信号であるとして、では、それは複合体の総意なのではないだろうか。
こちらの筋肉とこちらの細胞がある条件下で電気信号を発すると、脳がそれを受け取り感情というものにして他の組織に伝える。
だとすると、意識は私のものであるようで私のものではないのではないか。
私とは誰だ。
私を生かすとは、どういうことだ。
実際、「私」は「あなた」と私が同一の生き物ではないという認識で生きているが、ある種の構造を持った人たちは、私とあなたという区分けが出来ないという。そりゃそうだ。そんなものはとても些細な事だ。私がたまに私と道端の石ころとの違いが認識できなくなる様に、基本構造がよく似た人間同士では余計、違うと認識するのはとても難しいもしくは違うと認識する方が間違っているのかもしれないじゃないか。
種は全、しかし一度個を認識してしまうとそれを無くすのは難しくなる。
同じ人間でありながら、自分の傷は癒えるのに、他人と傷口を合わせたからって簡単に細胞同士がくっつかないように、自分は自分、他人は他人という認識が、細胞レベルで行われている。私という人間は、私は私であるという認識を共とした細胞の集合体であり、しかし私の臓器を移植した相手は私ではなく別の誰かなのだ。
生き続けているというのは、どういう状態を指すのだろうか。
細胞分裂が続いている事を生きているというのなら、私から切り離された癌細胞は、私が生きている状態、と言えるのだろうか。(癌細胞は自分から切り離されても適切に養分を与え続ける限り分裂増殖を続けられる細胞なのだそうだ。)
死んでいる状態とは何か
では死んでいる状態とは、細胞分裂が止まっている状態を指すのか。
人がその状態を恐れるのはなぜか。
惰性が止まってしまうから??
私にはわからない。
私は、痛みすなわち生きている時の不快感は嫌いだが、所謂巷で言われている死んでいる状態(意識も感覚もない、知覚も痛覚もない状態)に対する不安は一切ない。
人々がそれを恐れるのは、現在手にしている物が失われてしまうと感じるからなのか、それとも死んだ後、地獄や天罰などの本当の恐怖が待っているからなのか。
未知に対する恐怖、未来に対する不安、それらすら、生きている証である。
生きるとは、苦しみを認識する事でもあるのではないだろうか。
それでも人は生きたいと願う。生きようともがく。生きるべきと自らを鼓舞する。
生きるとは何か。
人はなぜ苦しんでまで生きようとするのか。
求め続ける限り、苦しみを凌駕するほどの喜びを永遠に享受し続けることなど出来ないというのに、どうしてそこまで生きたいと願うのか。
生きる人々が真に求めているものが何なのか、何が欲しくてそんなにがむしゃらに生きるのか、なぜ生きる為なら苦痛を惜しまないのか。
命は、我々に何を命令しているのだろうか。