love2016の雑記

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気づいた事や感じた事、得た知識などをシェアしていきたいです

悲劇のヒロイン気取りでいたい人は、不幸を手放そうとしない

こんにちはらぶです。

 

職場に、とても働き者の女性がいます。

パートの仕事をかけもちしているので、まるまるお休みな日は月に数日あるかないかなのだそう。

その人はとても感情表現豊かで、辛い時に辛い、大変な時に大変とはっきり言う人なので皆が気にかけて心配します。

 

それだけならいいのですが、彼女はタイトル通りの人で、言い換えれば

 

不幸自慢を体現している人

 

なのです。

 

楽より労いが欲しいのはわかるが。

 

彼女はよく「大変だった大変だった」「とても忙しくて大変だった」と言い、自分がどれだけ苦労したかを感情豊かに語ります。と同時に、同じ職場の人で彼女の目の敵にされている男性がいるのですが、自分がその人のせいでどれだけ嫌な思いをしているかも、包み隠さず周囲に言いふらします。

 

そこはその人の主観で言ったら事実なのでしょう、周囲が労えばいいだけの話なのでいいですが、彼女は悲劇のヒロインの座を誰かに明け渡す気はそうそうないらしく、

 

他人からの手助けを拒否する

 

のです。

周囲が良かれと思って手助けを申し出ても拒否し、その上で自分がどれほど大変なのかを訴え続けるのです。周囲は彼女が辛いのだろうと思い、その辛さを軽減できればと思い手助けを申し出るのですが、彼女は実際は周囲に「大変なのに頑張っている人、嫌な人とも逃げずに対峙している人、責任感のある人」という自分アピールがしたいだけなので、手伝われてしまうという事は彼女にとっては助けでもなんでもなく、

 

同情される機会を奪われる事

 

でしかないのです。

大変だと思っているのは事実だと思います。

彼女自身、自分は一生懸命やっているが大変な目に合うと思っているのはホラではなく本心で言っていると思います。

けれども、それは外からやってきているのではなく、自分がそこから逃れようとしていないだけなのだという事に気づいていないのです。

否、もし気付いていても彼女は自分の人生の役割を「悲劇のヒロイン」と設定してしまっていて、悲劇のヒロインとはどうあるべきかという信念の元動いているのでそれを変える必要がない為変えていないだけなのかもしれません。

 

頑張りを認めて欲しいという気持ちは誰にでもあるものだと思いますし悪い事だとも思いませんが、彼女のやり方は周囲が仕事し辛い状況になってでも、自分だけ頑張っているという称号を欲しがっている為、頑張りが周囲への心理的負担や迷惑に直接つながってしまっているのです。

 

逆に考えれば、

頑張りを認めてもらえる事は誰でも嬉しい事です。

そして誰でも、大変だったことを労われると、報われた気持ちになるでしょう。

 

それなら、それを周囲と分け合って讃え合った方が良いじゃないですか。

自分一人だけが報酬(承認や労い)を独り占めするのではなく、善意で手を差し伸べてくれた仲間に対して仕事を与え、報酬を得られる機会を譲ってあげたら、お互いに幸せを感じられるのではないでしょうか。

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人にものを頼むくらいなら自分でやった方が良いというのはらぶさんも同じような感じではあるのですが、自分で引き受けたならその時点で自己責任なので不平不満述べないで欲しいのよね特に仕事では!というのがらぶさんのスタンスなのでどうにも彼女とは価値観が違いすぎるようなのです。

 

仕事を辞める事というのは責任の放棄であり無責任な人間の逃亡策でしかないと言われるのは仕方ないと思っているのですが、彼女の様に周囲に気を遣わせまくった上で更に不快感を振りまいてでも居座るのが責任の取り方だとは思ってないのですらぶさんは。

 

遠く離れた方が幸せになれるタイプの人っていますよね( *´艸`)

 

皆様がよりよい人生を自分の手で掴み取れますよう、心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪