ブックレビューで書いた本の話。
レビューでも書いたけど、この本に書かれている内容自体はとても素晴らしく、
人におススメできる内容だったのだけど、要所要所で嘲笑というか見下した憐れみ?みたいなのが感じられるんだよなこの人。
ロマンス小説は本のうちに入らない?
著者はこの本の中で幾度となく本を読めと提案しています。
しかしそれはセレブリティのゴシップ満載の週刊誌ではなく、前向きになれて自分の成功にプラスになるような本を、と。
そして靴磨きの女性がコミュニケーション能力に長け人柄も素晴らしいのに娘のチアリーディングの遠征の費用がないと嘆く場面で、その女性が隙間時間に読んでいるらしきロマンス小説を指し暗に(こんな本しか読まないから成功しないのだ)と揶揄している。
「勿論ロマンス小説を悪く言っているわけではない」とダラダラと言い訳がましく書き連ねられているが結局実質的にロマンス小説=くだらないもの、自分を成功から遠ざけるものと指さしているのだ。
ロマンス小説の多くが、仕事を頑張る自立した女性の恋愛を題材にしている。
著者が感じたこの靴磨きの女性の「素晴らしいコミュニケーション能力」だとか「成功に値する人柄」だとかが、フィクションを読むことで(息抜きをする事で)培われたものかもしれないとはなぜ思わないのだろう。
私は小説などの物語を読むことは、決して無駄ではないと思っている。
フィクションがもたらす功績
確かに自己啓発本は人に行動を促すだろう。
そして大金を稼ぐ為の加速装置になることだろう。
けれども、けれどもだ。
フィリップ・K・ディックの小説を誰も読まなかったら、ブレードランナーの映画は作成されなかっただろう。
映画が作成されなかったら、有名になれなかった俳優がいるかもしれない。
あのくらいの年代のSF小説がなかったら、フィフスエレメントみたいな映画は
作られなかったかもしれない。
あの映画そのもので収入を得て、この自己啓発本の著者のいう「成功」を収めた人もいるかもしれないし、映画を観た事で、空を飛ぶ車を本気で開発しようと思った子供がいたかもしれない。
ジョージ・ルーカスは本当に全くフィクションに触れることなく育ったのだろうか?
別の人の創作物から、全くインスピレーションを受けなかったのだろうか?
学業と日々の生活だけで、スターウォーズを作り上げたのだろうか?
アトムやドラえもんやガンダムが好きだから足のあるロボットを作りたいと願った子供は本当にいないのだろうか。
トールキンが指輪物語を書かなければ、もしかしたらこれほどまでにファンタジーという概念に統一感がなかったかもしれない。
ハリーポッターを誰も読まなかったらJ・K・ローリングは成功できなかったかもしれないし、そしてハリーポッターがなければ人生の楽しみが見つからなかった人もいるだろう。
スライト・エッジの著者は言う。
「読むなとは言わない。でもそれは現実逃避にすぎない。成功への道ではない。」と。
暇潰しに読む程度ならいいとも言う。
でも、そうではないと私は思う。
暇潰しなら、自己啓発本で良いのだ!!!
どこのページから読んでもいいし、1日5ページだけでも読みました感がある自己啓発本はそれこそ細かい隙間時間の暇潰しにはもってこいだ。
おもしろい小説に出会った時、寝食を忘れて読みふける日もあるだろう。
翌日の仕事や学校が辛くて後悔する事もあるだろう。
でも、創作物に触れずに勉強だけ、仕事だけしているのよりずっと人生が豊かになるのではないか?
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著者の言う成功が地位や名誉や金だけなら、確かに小説や音楽やエンターテインメントは不要かもしれないけど、私はそういうものが大好きだから、私の人生には欠かせないものだし、暇潰しとも時間の無駄とも思ってないのよね。
「そんなんだから成功しないんだよ(嘲笑)」というのが著者の視点らしいので、
メンドクサイからこれは単に好きな本のジャンルが違うって事で片づけちゃってもいいかもしれない!!( *´艸`)
皆さまが自分の望む自分で楽しく生きられますよう、心からお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪