満たされざる欲望
こんにちはらぶです。
今回は承認欲求のお話。
他人に好かれる方法で一番効率が良くて効果が高いのが相手の承認欲求を満たす事なんじゃないかなと思います。
けれども
実はらぶさん
ぶっちゃけ
この承認欲求を満たしてあげるという行為が
かなり嫌いです。
私の中での承認欲求とは、
〇〇して欲しいと願う相手に対して、それを少し上回る事をして相手を喜ばせる事
と定義しています。
これを満たしてあげると確かに人は良い気分になってこちらに好感を抱いてくれるでしょう。それでも、私はこのやり方が嫌いです。それに更に言うなら、
承認欲求を満たして欲しいという欲望をこちらに押し付けてくる人が嫌いなのです。
承認欲求って本当に欲求か??
基本的に「〇〇してくれるのが当然」だと考えている人に少し上回る応対をした場合、その場では喜ばれるかもしれませんが、一回それをやってしまうとそういう態度の人は以降その待遇を継続されなければ不満を持つようになり、喜ばせるには更に上を行く対応をしなければならなくなります。
与え続ける限り際限がなくなるように見えるけど、それだと承認欲望になってしまう…。承認欲求とは、本当に欲求なのだろうか。
この書籍を読んでいて強く思ったのは、褒めるというやり方は褒める側も利益を求めているのだなという事でした。
勇気づけの場合は主体が勇気づけられる側である事は明白ですが、褒める場合は「私が褒めているあなた」という構図になります。
勇気づけの場合、相手が勇気づけられればられるほど、独り立ちできるようになります。
逆に褒めたりして承認欲求を満たしてばかりいると、相手はもっと承認して欲しくて褒める側に依存します。そして褒める側も実はそれを求めているのです。
商売でもそうですよね。
相手を勇気づけて独り立ちされるより、褒めておだてて良い気分にさせて自分に依存された方が絶対仕事はやりやすいに決まってる。
承認欲求を満たすという行為は、相手の為なんかじゃなく自分が好かれる為、自分に依存させたいがための極めて自己中心的な行為に他ならないというのが私の主観的結論である。
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―
好かれたり必要とされる人間になるには承認欲求を満たしてあげる事は不可欠です。
単純にらぶさんがそれを求めていないからこういう内容になったというだけなので、そのあたりは誤解なきよう、皆様は相手の承認欲求をうまく活用していかれる事を願います(*´∇`)ノシ マタネ~♪