こんにちはらぶです。
今日は思い出話。自分は正しくて、正しい事は全て受け入れられて当然であって、正しい事を受け入れない方が悪い。っていう考え方を芸術面でやられると本当に辛い。正しい芸術って何だ。
アイデンティティが否定され続ける日々
らぶさんは昔から絵が好きです。今も好きです。
昔は自分で描くのも好きだったけど、直接作品を褒めてくれる人は誰一人としておらず、10代のうちに描く事は卒業してしまいました。
今でも時々絵を描いたり漫画を書いたりしたくなるのですが、どうしても何か引っかかる。
描きたい < めんどくさい
という構図。好きだった筈なんだけどなぁ。どうしてだろう。
それでよくよく考えてみると、らぶさんにとって描く事っていうのは
- 感じた事を目に見える形に表現できるのが嬉しい
- 単純に線を引くのが楽しい
- 自分が良いと思った事を他者に伝えやすい
- 色彩の豊かさ
- 自分らしさの表現
- 思考の整理
など、複合的なメリットが存在していたんですね。
でも、今描こうとすると頭に浮かんでくる事は
- 手間がかかる
- 面倒
- どうせうまく表現できない
- もしうまく行っても何の意味もない
- 自分の感性を素晴らしいと思ってくれる人なんて存在しない
- 自分の生み出すものに価値がない
- 好きなものがない
- 表現したい物がない
- センスがない
- 時間がない
などなど、マイナス要因で埋め尽くされていきます。
その大きな要因は、過去にずっと描いたものを否定され続けてきた経験があるからだと思います。それは事実私にセンスがなかっただけの話なんだけど、商業目的で営利目的で利益を上げないといけないならともかく、趣味で描いたものにさえダメ出しの嵐もしくは無感情にスルーというのが私の作品に対する周囲の評価でした。
しかも、「誰も私の作品に興味関心がないのであれば、私は私の好きなように表現できるではないか!」と発想を転換し、破滅的で暗く、そしてそれらを嘲笑うような作品を楽しんで描いていました。
すると、それさえもダメ出し。
評価されようと頑張ってもダメ。
評価を求めず自分の描きたい物を描いてもダメ。
じゃあ私が絵やマンガを描く理由ってなんなんだろう。
そんな思いがどんどん募って、次第に創作活動から離れて行ってしまいました。
今でも美しい風景などに出会うと吐き気がするほど描きたくなるのですが、すぐに「なんの意味もない。無駄な事」と気持ちを切り替える様にしています。
そうして今思う事。
そもそもらぶさん、何の為に生きているんだろう。
他人の顔色覗っても、自分のやりたいようにやっても、どのみち非難される。
非難を受け入れると自我が苦しみ、非難を跳ね返すと罪悪感が募り自責の念で気が狂いそうになる。特にらぶさんにとって芸術表現というのは自分の内面を表に晒す作業だったから、それを否定されると自分の内側を全否定されることになるのでダメージが半端ない。
でも誰からも見つけられず自己満足の為だけに作品を作り上げるのなら、それはもう心の中で完了しているから敢えて目に見える形にする必要なんてない。自分の脳内にあるものが、自分の中で一番美しい風景なのだから。
そして現在
そういやそうやって否定非難侮辱を受けている時って、自分からアドバイスを求めていない時だったなぁ。
そしてそれって、今現在でも私に向けられる勝手な婚活アドバイスやアトピーアドバイスや変なセラピー勧誘も同じだなと気づきました。強制的な助言。
私がそれらのものにたいそうな不快感を感じるのは過去に原因があるのかもしれません。強制的な助言は、私の存在や思考や内面を否定し、変化を促している。
私が望んでいるならそれもありがたく受け入れようと思うが、そもそも何も求めていない。私は昔から、何も考えずにただ描きたい物を描いていた。そして小さな子供が母親に作品を持って行って「書いたの!」「書いたの?良かったわね」「うん!」で終了するような、ただそれだけがしたかっただけなのかもしれない。
ただ佇んで生きる事も許されないか非難されるか軽蔑される。
技術向上を目指せば叱責されるのは当然としても、望んでその場に佇むものにまで罵声を浴びせ苦難の道を歩ませようとするものは、それなりの責任を負ってもらわないと割に合わない。だから私はその責任を負おうとしない者の意見は聞かない。
無責任にただその場の思い付きで物を言うだけなら誰にだって出来る。そう、誰にでもだ。でもそれさえも頑固で融通の利かない奴って言われるんだよね。。
自己表現すると否定され、他人に迎合すれば心が壊れ、自分を守ろうとすればまた非難される。
生きる事は苦しむ事。
私の人生は何の為にあるのだろうか。
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他人の為に生きるのが全ての人類共通の目的だというのは以前にお話ししたのですが、
他人から自分の能力を否定され続きてきた場合、なかなか社会貢献できている(つまり何の為に生きているかわかる)という状況になれずに暗中模索してしまいます。
スキルを磨こうとしても芯がない為表面的になりやすく結局はどこにでもある機械的なその他大勢になり、アイデンティティが満たされる事はありません。
出来る限り早いうちに徹底的に自分とは何者なのか、何をすべきなのか何の為に産まれてきて何の為にここにいるのかを自分の力で確立させない事には、心が路頭に迷ってしまいます。
心が路頭に迷うという事は遅かれ早かれ命の危機に直面する事態となりかねません。
みなさまが目標を持った人生を楽しんで歩んで行かれる事を心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪