お金は私の価値の肩代わりをしてくれる
こんにちはらぶです。今日はお金と自分の価値の話。
お金の支払いは自分と相手の価値観の摺り合わせ
例えば何かを買う時にお金を払うのは、自分にとってそれが必要なものだからだ。
では、誰かに会うために一方的にどちらかがお金を払う場合はどうだろう。
デート代を全額負担している女性、アイドルのライブに数万かけるファン、有名なコンサルタントとの打ち合わせに数十万払う経営者、違うように見えても中身はみんな一緒で、つまり片方の存在価値に合わせてもう片方が足りない分をお金で補っているのだ。
だってそうだろう?お互いが会いたくてたまらないという気持ちがあったら、デート代をどちらか片方が全額負担するなんてナンセンスだし(それでも男性は時々自分の自尊心を満たす為だけに女性に奢る事もあるようだけど。)、ファンがアイドルに会うには大金が必要だとしても、そのアイドル自身が別のアーティストとプライベートで会うのには金がかからなかったりする。お互いが同じような価値だからだ。
コンサルタントもそうだ。一般人からは高額なコンサルタント料を取っていても、有名な人物からの依頼には低価格でコンサルタントを引き受けたりする者もいる。この人のコンサルを引き受ければ自分に箔がつくと考えている場合がそうだ。
そしてお金を用いない場合、能力の等価交換は基本的に出来ないと私は考える。
人間は基本的に自分の持っている物に対して高い評価を付けたがる傾向にあるからだ。
買い物をする時は良いものを際限なく安く買おうとしたり、自分が不要になったものを誰かに売ろうと考えた時最初は「1000円でいいかな」と心の中で考えていたものを誰かに「5000円で欲しい」と言われたらその値で売ったり、更に「まさかこれが5000円で買えるなんて!こんなに安く買えて凄く嬉しい!!」なんて言われようものなら、なんで1万円で売らなかったのかと損した気分でいっぱいになるだろう。
等価交換が出来ていると感じているのは大抵片方だけで、もう一方は不満に感じている場合がほとんどだ。
洗濯をするから料理を作って。と言われる程度でさえ不公平だと感じる場合もあれば、ボランティアでもいいから参加させてほしいと思う事もあるだろう。けれどもそれこそ各々の価値観という奴で、金銭など形あるもの以外で容易にバランスを図る事は難しい代物なのだ。
だから提供する価値を持ちえていないらぶさんはしょっちゅう金銭を要求される場面に出くわすが、これは必然としか言いようがない。
価値のない人は際限なく金を吸い上げられ続ける。
そこから脱するには自分に価値をつけるしかないのだ。
一番いいやり方は、その人に金を渡して渡し続けてその度に少しづつでも価値のある人に引き上げていってもらう事だ。そうする事で次第に価値が近くなり、払う額も減ってくるという訳だ。
けれどもらぶさんは、自分が何かを成し遂げる人間になりたいわけじゃない。そういう人の力になりたかっただけなんだ。
でもそうすると、価値のない私がそういう人たちと一緒にいるためにはバランスをとる為にお金が沢山必要で、話も出来ずお目にかかるだけで何万とかかるようになる。
それではアイドルの握手券と一緒だ。自分の求めている物はそれなのか?
…そう考えた時、私はお金を払うのをやめた。
応援力がないと言われればそれまでだが、うまく説明できないがとにかく自分が行きたかった場所はそこではないとしか言いようがない。
金は私の価値を肩代わりをしてくれる。
けれどもそれだけじゃない。
お金は、誰の価値の肩代わりでも出来る。つまりお金の価値そのものには個性がないのだ。他人が私に金銭を要求する場合、そこに私個人は存在してもしなくてもいいのだ、私の払う金さえあれば。そんな要求に応えてまで必要とされたがる必要がない(笑)
お金は、本当に自分が求めるものの為に払うべきである。承認欲求を満たす為に支払う人もいるが、私はもうそれさえ必要なくなってしまったので、本当に何もいらないのだ。
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友達同士でいると忘れがちですが、支払うばかりが増えてくると、そういう心配をしなくて済む友達って本当は本当にとても大切なんだなと気づきます。
お互いがお互いの価値を認めあえてるって事ですからね。
みなさまがお互いに大切な人とお互いに大切にし合える毎日を送られる事を心よりお祈り申し上げます(*´∇`)ノシ マタネ~♪