こんにちはらぶです。
自分が必要とされていないと感じた時、大体の場合その直感は正しい。
その事実にショックを受けて立ち止まって(思考停止して)しまう人もいるが、必要なのはそれを現実と受け止めた後に「ではどうするか」と考える事なのだ。
- 相手に自分の必要性を訴える
- 自分の努力を認めさせる
- 自分のスキルを磨く
- 周囲を巻き込んで自分の正しさを証明する
といったところか。
やりたいようにやったらいいと思う。
けれども、他人が変わるのを待つのは大変時間と労力がかかるのだという事は頭に入れておいた方がいい。
そしてもう一つ重要な事がある。それは「他人には、あなたの意見に従う義務はない」という事。
職場の上下関係であっても、夫婦や親子関係であってもそれは同様だ。
指示命令に従う義務はあっても、あなた自身に対して見下しや嫌悪感を抱かれた場合、それをこちらの意思でどうにかしろと命令する権利は誰にもないのだ。
感情というものも本来は理論的に解釈できるものではあるのだが、深層意識を認識しながら生きていない人にとって感情とは御しがたい、発生源が解りづらいものとなっている。
だからたとえ本人からこちらの欠点や反省点を直接聞きだせても、本当に深層心理からそう思っているとは限らない。寧ろ違っている事の方が多いものだ。
そんな曖昧な相手の気持ちや考え方に振り回されるくらいなら、他人に変化を求めるより自分の認識を変えてしまった方が早い。
「ではどうする?」
世の中に絶対などというものはあまりないと思う。
相手が自分を不必要だと思ったのなら、それは事実だろう。
けれども、それは相手の中の事実であって、自分の事実とは違っていい筈だ。
「自分は必要とされていない、相手は変えられない、ではどうする?」でもいいし、
「自分はきっと必要とされている!それを体現すればいいだけだ」でもいい。
相手の考えを否定する必要はないが、それと全く同様に、自分の感覚も否定されるべきものではないのだ。
自分は必要とされていないと感じた時、悔しいと思ったか悲しいと思ったか。
それでも相手とずっと一緒に仕事や生活を共にして行きたいと思うか。
関係を変える為に必要なものは何か、場所を変えられないのなら距離を置く事は可能なのか。物理的距離を置けない相手と心理的距離を広げる方法は何か。
確かに自分だけが我慢する必要はない。けれども他人を変えたいと思うなら、せめてそれと同じ程度には、自分も変わらなければならない。気持ちを変えるか、居場所を変えるか、視点を変えるか、関係を変えるか。
自分が変わりたくないというのであれば、このままの関係が続くことを受け入れなければならない。例え自分が否定され続けても、自分が望んでその場所にいるのだと強く言い聞かせなければならない。それは相手のせいではなく、自分がここに留まると決めた結果なのだから。
どちらでもいい。
どちらも選択肢として「ダメ」という事は無い。
ただ、どちらかしかないのだ。
「自分は絶対に変わらない。けれども相手が変わる必要がある。」というのは不可能なのだ。人は往々にしてこれをやってしまいがちだし自分の正義を信じるあまりそうあるべきだと思う人も多いが、相手も同様に自分の正義で生きているのだ。
人生は短い。出会うべき人は多い。
不快な気にさせられる相手であっても、自分の人生の彩になるのであればそれは全然OKだ。けれども自分の人生や人格を潰すような人に自分の時間を割く必要はない。
ムカつくからとかいう短絡的な感情の理由で簡単に人間関係を切るのもどうかと思うが、しばらく努力を続けて付き合ってみても全くその印象が変わらないのであれば、それは細胞レベルで相性が良くないかもしれないのであって、無理をする必要はないと思う。
あなたが会うべき素晴らしい人たちは世界にまだまだいるのだから。
まだそれらの人に出会っていないのなら、そして今の人間関係が居心地悪いと感じているのなら、それは出発の合図なのかもしれない。
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
自分が必要とされていない時、それはまだ自分が相手の望むレベルに達していないからという事もあり得ますね。
みなさまの元に辿り着いて素敵な出会いになれるよう、自らを磨き上げ続けますから待ってて下さいね~(*´∇`)ノシ マタネ~♪